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10、自然の一部として生きる感覚と循環への違和感 【R6.9月インタビュー10/10回目》

 >こちらは、令和6年9月に慶應義塾大学院の林さんの研究の一環として受けたインタビューを文字起こししたものです。パターンランゲージという学問を使って、自然と調和する生活を送るためのヒント作りを調査研究されています。<

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林:

一部ってどんな感覚だろうと思います。言葉としてはわかるし、なんとなく理解できるんですけど、一部って人によって感じ方が違うと思います。自然の一部とか、複雑なネットワークの一部っていうと、すごく抽象的だし、感覚的にも大きな意味を持つと思います。井形さんの中での”一部”という感覚について、最初に状態的なところでお話ししていただきましたが、感覚的な部分ではどういう感覚なんでしょうか?

井形:  

抗えないという感じじゃないでしょうか。人間が自然を壊すのは簡単ですが、治すのは難しいですよね。畑や植物も、自分が育てているわけではなく、自然に育っていきます。バイオリズムにしても、自分の都合で早く成長させたいと思っても、自然のリズムは変えられません。そうなると、他のリズムに自分が乗って調和したときに、自分がそこにいるという感覚がわかってくるんです。それが自然の一部であり、例えば自然が何を目指しているのかがわかってくると、自然の一部として生かされていることに気づくんです。もし自然がなかったら自分の健康もない、ということにも気づきます。だから、小さな出来事にも感謝する感覚が湧いてくるんです。自然の中にいると心地よさを感じるのも、自然が自分にとって居心地のいい場所だと体が反応しているんだなと感じます。それに比べて、こういう建物の中ではそういう感覚は得られないので、やっぱり自然に近づいている方が自分には合っていると感じますね。

林:  

循環の解像度が自分の中で高まってきて、やっぱり循環って大事だなと感じています。私もコンポストをしていて、食べたものを土に還すことが循環の一部だと感じていました。でも今日の話を聞いて、植物が生きやすい場所を作ることも循環の一部なんだなと思いました。多様性のある環境を作ると、その中で自然と輪ができるような感覚があるんです。自分もその一部ではあるけれど、人間が手を加えることで、新たな小さな輪が生まれる。それも循環の一部だと感じました。

井形:  

私の中では”循環”という言葉があまりしっくりこないんです。
輪っかのような単純なイメージではなく、もっと複雑な繋がりがたくさんあるイメージなんですよね。森で熊がうんちをして、それが土に還る、なんていうけど、あの広い面積の中でそのうんちが与える影響はほんの一部でしかない。循環という言葉を使うと、何かが一巡して元に戻ってくるイメージがあるんですが、実際には別の方向に広がっていくこともあるんじゃないかと感じるんです。
循環を意識しすぎると、逆に自然から離れている気がします。だから僕は”循環”という言葉をあまり使いません。循環が大事だと言われますが、意識しすぎると、無理して自然に近づけようとしている感じがするんです。コンポストも、実はあまり興味がなくて。物質の移動量で考えると、空気やガス、植物たちの方が圧倒的に大きいし、虫や微生物も膨大な数で動いています。それに比べたら、人間が動かしている量はごくわずかです。だから、僕たちが意識できる循環なんて、全体のほんの一部に過ぎないんですよね。
循環というよりも、ネットワークが広がっていくという方がしっくりきます。それであれば理解しやすいし、自然とも調和している気がします。あみだくじのように、いろんな方向に伸びていって、それぞれ新しいものが生まれてくる、そんなイメージですかね。

林:  

しかも、多分、循環って、その畑の中だけで起こっているわけじゃなくて、外とも繋がっているんですよね。そういう意味では、循環は本当に自分が手掛けている畑だけではなく、1つの輪だけじゃないというのも、本当にその通りだなという感じがしますね。

井形;  

有機栽培では矛盾が大きくなるのは、やはり循環なんですよ。畑で取れたものを、食べたものを残して畑に入れると、量が多すぎるんです。というのは、そもそも畑に入っている栄養素の大半は空気中からくるものです。窒素などですね。微生物が活動することで、空気中の窒素を根に入れて、土に入れて、そこから植物が形成されていきます。そして、土の中にCO2などが蓄積されていくわけです。そう考えると、物質的な動きは空気から入ってくるので、物体として固体で入れると過剰になってしまうんです。だから、それをリセットして稼働しなかったら肥料を入れなければならなくなりますが、システムをしっかり使えば、空気から栄養が入ってきますし、微量栄養素はむしろ虫が運んでくれます。虫が死んで分解されたら、その栄養素が放出されるわけです。だから、虫が出入りしているなら、戻す必要はありません。作物を食べたからといって、余計なことをせずに、むしろ外に出してしまった方がいいんです。そして、それが回り回って、いつか空気になって還ってくるのであれば、それが循環かもしれません。でも、無理して食べたものや残渣を畑に還すのではなく、例えばゴミ焼却炉で燃やして空気中に放出してしまえば、空気中から戻ってくることもあるかもしれないんです。

佐藤:  

土の栄養というよりは、微生物の働きで空気中からどう栄養が植物に行くか、という視点で考えられているんですね。

井形:  

そうです。それも一つの方法です。虫が何かを取ってきてくれたり、動物が糞をしてくれたり、いろんなパターンがあるので、1つの輪だけで成り立っているわけではなく、いろいろな想定できる輪があって、今回はこのパターンで栄養が入ってきたとか、今回は返ってこなかったとか、地球の裏側まで行ってそのまま土に還ってしまったとか、ここには返ってこなかったとか、そういうこともあるんです。だから、一本の直線の場合もありますよね、スタート地点が見つかったときに。でも、地球全体で見れば、ぐるぐる回っているかもしれないし、いろんな複雑なネットワークの中で栄養が移動していって、場面場面を切り取ったら、ここに行っている、ここに戻ってきている、というようなことがあるんです。「還ってくる」という意味で循環を考えると、矛盾がたくさんあって、私たちには理解が難しいんですよ。でも、学問的に分解して考える方がわかりやすいですね。

林:  

確かに、コンポストとかをやる方としては、学問的にも、葉物系にはカリやカルシウムといったアルカリ成分が吸収されていることがわかりますね。実や葉物系ばかりを収穫していると、そのアルカリ分が土から減ってしまうので、それを還すことで栄養のバランスが保たれるというわけです。でも、実りや葉ばかりを収穫していると、その部分だけが偏ってしまうから、石灰岩を入れなければならなくなるという話も聞きます。それが本当かどうかはわかりませんが、そういう意識を持ってやっている方もいらっしゃるんですね。データ的にはそうだなと思うこともありますが、どうなんだろうと感じることもあります。

井形:  

そうですね、私も有機栽培を勉強していたときには、全部自分たちで還さなければならないんだという考えがありました。雑草にもいろいろな種類があって、アルカリが強いものや酸性が強いものがあるので、それぞれが種からそこまでできているわけです。つまり、人が与えた栄養ではないところで育っているんですよ。そうなると、「これってどこから来ているんだろう?」と意識するようになって、とにかく空気や虫、地下水などが関与しているんだなと気づきます。こっちが何かしなければならないという考え方は、自然の摂理から外れているんです。人工的な世界観では、確かに戻さなければならないかもしれませんが、今は複雑に絡み合っていて、どんどん栄養が出たり入ったりしているんです。必要なものが必要な時に取られて、アルカリが必要ならアルカリのものが出てくるんです。土に返したときに、土がそれを調整してくれるわけです。その元はどこから来ているかといえば、行って帰ってという感覚ですべて説明できるわけではないんです。微生物がたくさんいて、微生物も状況によって変わるから、私たちがすべてを説明できるようなものではないんだろうなと感じています。だから、「還さなければならない」という考えを持ってしまうのは、自然を見ていないのではないかと感じるんです。

林:

私に関しては、その、還さなきゃいけないというよりも、なんだろう、出たから還すという感覚ですね。

井形:

私は焼却を悪いこととは思っていません。焼却って、物質を気化させることでしょう?それによっていろんなところに広がっていくんです。もし土に還すと過剰になるかもしれないけれど、空気に還してあげれば、何かしら土に戻ったり植物に吸収されたりするわけです。温暖化というのも人間の都合で見れば悪いことかもしれませんが、それをどう広げていくのかを考えるべきです。本当に循環を考えるなら、気化させる方が圧倒的に早いと思います。もちろん、気化させ方も重要ですが。液体、固体、気体というのは運び方が違うだけで、自然の仕組みはうまくできていると思います。

環境活動家にはなれないと感じるのはその部分ですね。燃やしても良いんじゃないか、植物がたくさん吸収するんだから、植物を減らさない環境を作れば良いし、露出した土をなくせばメタンガスも出ない。植物が入りやすい環境を作ってあげれば、自然が勝手にやってくれるんじゃないかと。私たちがあれこれ介入して、「こうするべきだ」と言って邪魔をしている可能性があると感じてしまいます。だから、循環という言葉はあまり使わないんです。ごめんなさいね、循環という言葉が私にはしっくりこないんです。

林:

私が最初に感じた循環というのは、農家さんのところでインターンをした時に、野菜農家さんと養鶏農家さんが近くに住んでいて、私もそこで住み込みでインターンをしたんです。朝、鶏が産んだ卵を食べて、その殻を鶏に返すという、ちょっと残酷なんですけど、鶏は卵の殻が大好きなんです。タンパク質が豊富だから。卵の殻を食べた鶏がまた卵を産むというのを見て、1つの輪を感じました。

それに加えて、野菜農家さんが育てている野菜の残渣や売れない葉物を鶏の餌にして、鶏がそれを喜んで食べて、また卵をいただくという。そうやって小さく繋がっているところに、自分が一部として存在している感じがあって。今までは自然を外から見ることが多かったんですけど、目の前で回っている循環を見て、自分もその一部として存在していることを実感しました。

井形:

それはすごく大切なことですよね。そうした実感ができることって素晴らしいと思います。ただ、私の感覚では、戻す範囲が狭すぎると不都合が生じるように感じています。もっと広く取る必要がある。地球規模でごちゃ混ぜにするくらいのスケールが必要なんじゃないかと思っています。近親相姦のように、近いところで循環を繰り返すと、偏りや不具合が出てくるんです。だから、広い範囲で循環させることでバランスを取る必要があるんじゃないかと思うんです。

畑の中で完結するのではなく、どうやって山や他の自然に繋がるかを考えるべきだと思います。ゴミを山に捨てるわけにはいかないけれど、空気に気化させれば植物が吸収してくれるかもしれない。もっと広いスケールで見ると、本来の自然のメカニズムに近いのかなと感じます。

ただ、畑の中で完結させる循環というのは、私からすると人工的な循環のように思えます。それを否定はしませんが、私の中ではもう少し広いスケールで納得できる、腑に落ちる感覚が必要なんです。

林:

いや、そこ、考えたいですね。確かに、スーパーで買ってきたものを畑に戻しちゃうと、ちょっと過多になる可能性はありますが、畑でできたものを還すことも過多になるのか、そこは考えたいですね。森でも、種を落とすために実を落とすっていうことがあって、そこから還るものもありますよね。一方で、動物や鳥が食べたり、畑の中でも還す時に、例えばカボチャを取りすぎてコンポストとして還すと、全部が土に還るわけじゃなくて、カラスが砕いてカラスの餌になったりもします。その過程で、微生物も含めて何かの餌になっているわけですから、果たしてそれが本当に過多なのか、考えたいですね。

今日はありがとうございました。

井形:

こちらこそ、ありがとうございました。


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この記事を書いたのは

Writer
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代表取締役
井形 誠
2007年ころから、「あらゆる生き物と共存する農業の仕組みを作る」と自分の方針を固め、自然栽培の農業研修を受け、自然栽培食品店の責任者をし、自然栽培の果樹園を拓きました。 農業に転職する時、「販売の得意な農家になれば、後発農家も優位に立てる」と考えてマーケティングを勉強し、それを活かして「やればやるほどに自然が豊かになる農業」に取り組んでいます。 『薬に代わる食』『人と地球の健康を改善する』『いのちを大切にする文化を育てる』そんなテーマに共感できる方々を前進していきたいと考えています。

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