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4、自然の摂理と人間の介入によるバランスの崩れ 【R6.9月インタビュー4/10回目】

 >こちらは、令和6年9月に慶應義塾大学院の林さんの研究の一環として受けたインタビューを文字起こししたものです。パターンランゲージという学問で、自然と調和する生活を送るためのヒントを調査研究されています。<

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林:

少し話が戻ってしまうのですが、野生動物の保護活動をしている時に、弱肉強食を感じた場面、これが自然の摂理なんだと実感した具体的な出来事がありましたか? 何か見たり聞いたりしたことがきっかけだったのでしょうか?

井形:

わかりやすい例を挙げると、農家さんが守りたいのは植物、つまり作物ですよね。

林:

はい。

井形:

そして、その作物を食べるのは草食動物です。時には顔が可愛かったりします。そういった時に、人間はそれを駆除しようとしますが、人間自身は草食動物を食べるわけではありません。自然界の中では、肉食動物が草食動物を食べることでバランスが取れているのです。そこで、「人間が介入してはいけないのではないか」と感じました。人間が駆除するのではなく、肉食動物に草食動物を食べさせるべきだと。

しかし、日本には草食動物を食べる肉食動物が非常に少なくなっています。昔、オオカミがいたはずですが、人間が駆除してしまったために、そのバランスが崩れたのではないかと思います。イノシシやサル、シカなどが増えた原因の1つは、オオカミがいなくなったことです。人間がオオカミを駆除してしまったことで自然界のバランスが崩れ、その結果が今、自分たちに返ってきているのだと感じました。そこに違和感や憤りを感じ、人類が犯してきた過ちを正さなければならないという考えに至りました。

林:

その時に、人間の介入の仕方や、自然界における人間の関わり方に対する価値観に変化が生まれたという感じですか?

井形:

そうですね。そこは本当に、だんだんと醸成されていった感じです。保護センターの理事長である武田さんがおっしゃっていたことが非常に深く印象に残っています。人間が自然を自分たちの都合で変えてしまっている、ということです。例えば、護岸工事があります。山から動物が川に降りてきて狩りをする際、護岸工事が行われると川まで下りられなくなります。それによって、川辺にいた虫を食べる小さな動物が捕食されなくなり、連鎖が途絶えてしまう。餌場が失われてしまうのです。また、今シカやイノシシが増えているのも、これらの動物を捕食するオオカミがいなくなったため、増加し続けている結果だということです。これによって畑が荒らされるわけですが、それは悪者扱いするべきではなく、人間が引き起こした結果なのだと。

こうした連鎖の関係性を理解しなければならない、ということが自然の摂理なんだという話を聞きました。全てのものが密接に関係し合っているため、もし人が自然と自分を別物だと考えた瞬間に、護岸工事や駆除などでその関係を壊してしまう。でも、もし人が自然の一部だと考えるならば、やるべきことが変わってくるのではないか、と。その一部としての考え方が取り組みに影響を与えるようになってきたと感じています。

佐藤:

「命を大切にする文化を育てる」という理念がありますが、現在の社会の中で、どのような課題があると感じますか? 農業界以外でも、命を大切にする文化が醸成されることで解決される課題があればお聞きしたいです。また、そうした社会像があれば教えてください。

井形:

社会像ですか。

佐藤:

そうです。命を大切にするという考え方はよく理解できますが、それを実現する具体的なアクションや生活スタイルについてお聞きしたいです。

井形:

私は、もしかしたら人間を見ていないのかもしれません。ある時、「井形さんが考えていることのメリットを受けるのは、人間ではなく地球なんでしょうね」と言われたことがあります。その方が「地球顧客主義」と言っていたのですが、人のために事業をするのではなく、地球のために事業を行い、その結果、いずれ人にも還ってくるという捉え方なんだろう、と。それを聞いた時、自分の中ですごくしっくりきました。私は、自分がやっていることが自分の生活に還ってくるという感覚は全くなかったので、むしろ「自分たちが壊してきたものを元に戻したい」という感覚でした。そこにある「ありのままの自然の姿」は素晴らしいものだと思いますし、そのために人生をかけてもいいと感じました。ですので、自分の生活を変えるという発想は今もあまりないのかもしれません。

ただ、実際に自然栽培を始めてみて、すぐに気づいたのは「私は命を大切にしながらやっていくんだ」と思ったことです。でも、それだけでは文化として命を大切にすることには繋がらないと気づきました。個人が変わっても、周りが変わらなければ、単に農業をやって畑作業をするだけでは不十分です。農業の仕組みを変え、新しい農業の形を見出すことが必要だと考えました。それをみんなができるようにし、経済の中で産業として成り立つ仕組みを作り出していくことが、自分に求められている役割だと感じました。単に畑に立つだけではなく、そうした広い視点を持つことが重要だと意識しています。

佐藤:

その中で、「いにしえ」という名前には、新しい農業のあり方を模索しながら、古くからの価値観と結びつける意味が込められていると思います。なぜ新しい農業を考える中で、古い価値観と結びつけることが重要なのでしょうか?

井形:

自然栽培をリンゴ農家の木村秋則さんから学んでいた時に、毎回言われていたのは「自然栽培は放置することではないし、マニュアルもない」ということでした。なぜかと言えば、自然をヒントにして、目の前の作物にどう対応するかを考えるという姿勢が重要だからです。自然から学び取ることが、栽培技術として確立されていくのです。自然をヒントにする、ということが圧倒的に大事なポイントだと教わりました。そのため、自然との関係性を重視し、栽培指導を受けてきました。

栽培のやり方は地域や状況によって違いますし、今年のように異常気象が続く年もあります。その時には自然の中で何が起こっているのかを見て、それをヒントに「畑ではこうすれば良くなるかもしれない」と考える。常に自然を見ることが、考えるための起点となります。

これが日本の文化である神道の考え方と通じていると感じます。神道は宗教ではなく、常に自然との関わり方を模索し、大切にしている文化だと思います。自然栽培も、日本の文化から生まれたものなのかもしれないと考えた時、日本の文化にも興味を持ち始めました。

食文化についても深く掘り下げてみると、ただ体に良いだけでなく、自然にも良いという知恵が組み込まれた文化だと感じました。そこから得た知恵を今の形にアップデートすれば、私がやりたかった「自然を尊重した農業」を基に、そうした食を提供できるのではないかと思いました。

古くから伝わる加工技術も、自然と調和しながら人の健康に貢献できるものが多いです。その技術が今も残っているのは、自然を意識して人の健康と地球の健康に貢献できるからだと思います。だからこそ、いにしえから学ぶことがたくさんあり、その理念を大切にするために社名にしたんです。

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この記事を書いたのは

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代表取締役
井形 誠
2007年ころから、「あらゆる生き物と共存する農業の仕組みを作る」と自分の方針を固め、自然栽培の農業研修を受け、自然栽培食品店の責任者をし、自然栽培の果樹園を拓きました。 農業に転職する時、「販売の得意な農家になれば、後発農家も優位に立てる」と考えてマーケティングを勉強し、それを活かして「やればやるほどに自然が豊かになる農業」に取り組んでいます。 『薬に代わる食』『人と地球の健康を改善する』『いのちを大切にする文化を育てる』そんなテーマに共感できる方々を前進していきたいと考えています。

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