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3、野生動物保護活動との出会いと感謝の意識の変化【R6.9インタビュー3/10回目】

 >こちらは、令和6年9月に慶應義塾大学院の林さんの研究の一環として受けたインタビューを文字起こししたものです。パターンランゲージという学問で、自然と調和する生活を送るためのヒントを調査研究されています。<

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林:

25歳で野生動物の保護活動に出会ったきっかけは何だったのでしょうか?

井形:

そのきっかけは、広告会社で働いていた時です。広告会社のクライアントに動物病院の方がいて、彼らと一緒に小さなラジオ番組を作っていました。その時、動物病院の先生から「面白い方がいるよ」と紹介されました。その方は自然保護員で、野生動物を保護したり、野生に返したりしているんです。ちょうどその時、先生がカモシカの赤ちゃんを保護した話をしてくださったんです。そのカモシカを野生に戻すために一生懸命保護しているという話を聞いて、「その方の話を皆に伝えると面白いんじゃないか」と思ったのがきっかけでした。それで自然保護員の武田さんという方にお会いしました。毎週お会いするうちに、命を大切にするという考え方にすごく共感し、「自分も関わりたい」と思ったんです。それでボランティアとして参加し始めました。仕事を続けながら、ボランティア活動も並行して行っていたという感じですね。

林:

なるほど。その時、感謝というテーマと食との関わりが出てきたんですよね。野生動物の保護活動と食との関わりの中で、何か感覚の違いなどがあったのでしょうか?

井形:

「違う」というのはどういう意味ですか?

林:

感謝や、地球の中で生かされているという感覚です。特に、食との関わりという部分がキーワードとして出てきています。野生動物の保護活動において、食との関わりをどう捉えていたのかはわかりませんが、野生動物の保護活動における感謝と、その後農業に出会って農を始めた時に感じた感謝というものに、もし変化があったなら、その変化についてお聞きしたいです。

井形:

そういう意味で言うと、野生動物に関わっていた頃は、食に全く興味がなかったんです。食に関しては、ゼロの状態でした。ただ、野生動物に関わっていく中で、農業との関わりが生まれました。農業が野生動物を邪魔者扱いしていたからです。私たちは動物を守りたいと思っていたけれど、農家は駆除してほしいと考えていて、そういった意見の対立がありました。命を守りたい側としては、農業のやり方に憤りを感じて、「農業を変えたい」と思うようになりました。

ただ、その前に「生き物を大事にすればするほど美味しいお米ができる」という農法があることを知りました。それが宮城県で行われている「冬水田んぼ」という農法でした。そこでは、動物や虫がたくさん来ることで、美味しいお米が作れるというものでした。冬の間も動物や虫の観察を行い、どうやってそれらを引き寄せるかを考えるんです。これが普及すれば、動物たちを守れる農業ができるのではないかと考え、私もその農業をやろうと決意しました。動物保護をしつつ、農業を変えたい。そして、農業は食べ物を作るものなので、食べ物についても意識し始めました。

そこから初めて、作物も生き物であり、他の生き物と関わり合って食べているのだと考えるようになりました。家畜もそうですが、私たちは生き物を食べているのだと気づいたんです。そこから、食べ物をいただくことに対する感謝の気持ちが生まれ、全てが繋がっていく感覚を得ました。やっと答えが見えてきたという感じですね。

林:

その頃はまだ実践していなかったんですね。こういう考えがあるという話を聞いて、作物が生き物なんだと気づいた、ということですか。

井形:

そうですね。だいぶ後になってからのことです。

林:

そこから実践するようになって、どのような変化があったのかをお聞きしたいです。私たちも情報は得られますし、冬水田んぼの話も耳にする機会があれば知ることはできますが、なかなか実践に踏み込めない人が多いです。そこで、知るだけで終わる人、興味は持つけどどう始めていいかわからない人、そして実際に実践する人の3段階があるとすれば、井形さんはその実践の道を選ばれたわけですよね。実践したことで、どのように価値観が変わったのでしょうか?

井形:

実践に至ったのは、「この農業の分野で命を大切にする文化を育てるんだ」と決断したことがきっかけです。そこから準備を始め、2~3年かけて農家のところに行ったり、調べたりしました。どうやってスタートするかを決めていったのですが、実際には手探りで始めたような感じでしたね。「冬水田んぼ」という1つのモデルはありましたが、田んぼではなく果樹でやりたいというぼんやりしたイメージがありました。やり方を聞かれても「わかりません」としか答えられませんでした。

ただ、到達したい目標は見えていたので、どうやってそこにたどり着くかを模索するばかりでした。最初の5、6年は何もわからず、ただただ周りから「馬鹿じゃないか」と言われながらも、信じてやっていました。方法があるはずだ、たどり着けるはずだ、と繰り返し思いながら進めていきました。結局、後から見つけた感じです。

だから「実践に移した」とは言いますが、それが本当に正しいかどうかはわからなかったし、「こういうふうにしたいけど、これは農業じゃないよね」という迷いも繰り返してきました。皆さんが思うような実践というのは、実際には後になって形になったもので、最初は知識だけがあり、模索している状態でした。実際に畑に行っても、やっていることは普通の農家と同じでしたし、理想的なことをやろうとしてもうまくいかなかったこともありました。だから、今の自分の実践が本当に実践なのかどうか、まだ生業として成り立っているかどうかはわからないところがありますね。

林:

その個人の心情の変化についてお聞きしたいです。失敗を重ねながらも、生き物に対する考え方や価値観はどんどん変わっていくのではないかと感じています。私は畑をやっていて、まだ2年目ですが、失敗はあってもプロセス自体を楽しむことができています。たとえば、以前は収穫したオクラの写真や、芽が出た瞬間の写真しか撮っていなかったんですが、最近は虫や、土にカビが生えたり土に還る瞬間なども写真に収めるようになりました。失敗や結果は色々ありますが、自然との関わり方がどんどん変わっていくのを感じています。

井形さんも、野生動物の保護活動に関わっている中で生き物に興味を持っていたと思います。大学で本を読んだ時から関心があり、さらに幼い頃にも興味があったのではないかと思います。生き物への関心や関わり方において、心情面でどのような変化があったのかを知りたいです。特に幼少期、たとえばキャンプが好きだった頃の自然との関わり方や、何に興味を持っていたのか、そういった変化を辿っていきたいと思っています。

井形:

なるほど、そういうことですね。わかりました。

林:

思い出せる限りで構いませんので、何かありますか?

井形:

まず、さっき話したキャンプについてですが、生き物に対する特別な意識はなかったんです。単純に、自分が過ごしていたコンクリートの街、東京での生活とは違う環境が面白いと感じていただけでした。湖や木々、石などがある場所でキャンプをするのが新鮮で楽しかったんです。生き物についてはあまり考えていなかったですね。

それが変わったのは、小学校や中学校でインコや犬を飼い始めた時です。この子たちはいつか死ぬんだということを経験し、その時の悲しさを何度か味わいました。その経験を重ねるたびに、次に飼う時には「またこの悲しみを味わうのだろうか」という恐怖心や覚悟が必要になりました。親からも命の大切さを教えられ、自分でも命とどう向き合うか、軽く見てはいけないという思いが深まっていきました。

その延長線上に、社会人になってからの野生動物の保護活動がありました。その頃の私は、殺してはいけない、生き物の命を全うさせたいという考えが強かったです。「可哀想だから守らなければ」という感情がベースにありました。

林:

それは、野生動物の保護活動をしていた時の話ですね?

井形:

そうです。その時に感じた矛盾があって、弱肉強食という言葉が示すように、肉食動物は草食動物を食べて生きています。食べられる命は可哀想ですが、食べる側も食べないと生きていけない。そうした関係性の中で、命が奪われるのは可哀想だけれど、それが自然の摂理なんだと自分に言い聞かせていました。でも、自分はその摂理に当てはめたくはありませんでした。お肉は好きだったのに、「できれば食べたくないな」と思ったり、家畜の牛を見て「可哀想だな」と感じたりしていました。でも実際には食べているんですよね。その矛盾がすごく大きくて、命とどう向き合えばいいのか、答えがわからなくなることがありました。

農業を始めてからは、農薬が生き物を殺しているという現実に直面しました。殺すことで自分の糧を得るということに、矛盾を強く感じました。それでも、私はその糧で生かされている。そう考えると、その矛盾を否定することは、私自身を否定することになるし、何も成り立たなくなってしまう。否定すること自体が矛盾なんじゃないかと思い始めました。

そうした中で、ほとんどの食べ物は生き物であり、ミネラルと水以外は全て生き物なんだと気づきました。それに気づいた時から、「いただく命に感謝しよう」と考えるようになりました。そして、「食べない命は守られるような環境を作っていきたい」というふうに、自分の考え方が変わっていったんです。

林:

それはいつのタイミングですか?

井形:

それは、おそらく自然栽培や畑を始めた頃ですから、今から10年くらい前ですね。

林:

自然栽培を始めた頃ですね。

井形:

そうです。当時、自然栽培を始めた時の話ですが、正直なところ、自然栽培を選んだ理由は他の農業よりも圧倒的に命を大切にできる農業だと思ったからです。それを追求しようと思っていました。しかし、自然栽培に携わっている方々と話してみると、彼らの関心事のほとんどが「人の健康」でした。私は自然栽培が人の健康に繋がるとは考えていなかったので、「そうなんだ」と驚きました。

お客さんの話を聞いても、みんな自分の健康について語ります。それで、自然栽培で仕事やビジネスを進めるには、人々の健康に貢献しなければならないと感じました。しかし、私が本当に求めているのは、畑や自然環境との調和であり、命と共存する農業のあり方です。ビジネス面では健康にフォーカスしつつ、私のやりたいことは命を大切にすること、というように、少し本質的な部分で自分の中で住み分けができていたのだと思います。

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この記事を書いたのは

Writer
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代表取締役
井形 誠
2007年ころから、「あらゆる生き物と共存する農業の仕組みを作る」と自分の方針を固め、自然栽培の農業研修を受け、自然栽培食品店の責任者をし、自然栽培の果樹園を拓きました。 農業に転職する時、「販売の得意な農家になれば、後発農家も優位に立てる」と考えてマーケティングを勉強し、それを活かして「やればやるほどに自然が豊かになる農業」に取り組んでいます。 『薬に代わる食』『人と地球の健康を改善する』『いのちを大切にする文化を育てる』そんなテーマに共感できる方々を前進していきたいと考えています。

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