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7、感情から事実への転換:自然と共に生きる農業の気づき 【R6.9月インタビュー7/10回目】

 >こちらは、令和6年9月に慶應義塾大学院の林さんの研究の一環として受けたインタビューを文字起こししたものです。パターンランゲージという学問を使って、自然と調和する生活を送るためのヒント作りを調査研究されています。<

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林:

自然栽培を始めた時、木村先生のところに行く前に、蕾ができたものが虫に食べられるのを見て「悲しいな」と感じたとおっしゃいましたが、今ではその感覚は変わっているのではないでしょうか。去年、リンゴ畑に一緒に行った時、ゾウムシがリンゴを食べているのを見て「可愛いな」とおっしゃっていたのが印象的でした。その時は「食べられてるー」と笑っておられましたが、最初の「悲しいな」という感覚からどう変わったのか、そのきっかけがあったのか教えてください。

井形:

これは農業の問題として、野生動物の保護活動からの流れと似ているのですが、農家さんにとって作物が売れて初めて生活が成り立つので、虫が作物を食べることで生活が脅かされることに強い敵対感を抱くのは当然のことです。感情的に強い思いが出てきて「殺してしまえ」となるのは仕方がないことだと思います。

でも、私はそれを「感情を抑えよう」とするのは仕組みとして違うと感じました。生き物と共生する農業の仕組みを作る時に、「我慢しなさい」と言うのではなく、「食べられても大丈夫な仕組み」や「食べられないようにする仕組み」が必要だと考えたんです。

例えば、葉っぱが食べられても、全部が食べ尽くされるわけではなく、数枚なら大丈夫だと考えれば、虫を放置することもできますし、黙認できるようになります。例えば、ブドウなら「1つの枝に13枚の葉をつけなさい」と言われますが、もし平均で1枚か2枚食べられるなら、少し多めに葉をつけておけば賄えるのではないかと考えると、虫を殺さなくても大丈夫な選択肢が出てきます。

また、畑の面積についても、例えば「この辺りでは3割くらい虫に食べられてしまいます」と言われたら、その3割分面積を大きくすれば収穫量を維持できると考えることができます。視点を変えることで、虫の活動を許容できるようになり、虫の発生するメカニズムに少しでも近づければ、虫の発生を減らすことができるかもしれません。

ゾウムシに関してはまだわかりませんが、普通の農家なら花が咲いた段階で花の数を減らして1つに絞ります。もしゾウムシが食べてくれた後に数を減らせば良いと考えれば、「ゾウムシが食べて減らしてくれている」と思えるようになります。これによって、ゾウムシに対する敵意がなくなり、可愛いなと思えるようになるのかもしれません。

林:

へえ、それは木村先生のところに行ってすぐに変わったのですか?それとも、関わり続けていくうちに変わったのですか?

井形:

徐々に変わっていったと思いますよ。最初の印象として、木村先生が「憎きやつ」と言っていたのが強く残っていましたが、実際に先生と一緒に行動してみると、虫のことを「可愛い可愛い」と言っている場面がありました。もちろん、防がなければならない虫もいるんです。例えばシンクイムシは本当に対策が必要ですが、それほど悪さをしない虫はそのまま放置していました。

先生は「肉食の動物は怖い顔をしているけれど、リンゴを食べる草食動物はみんな優しい顔をしている」といった見方をしていました。そこで、やはり命を慈しむという考え方が根本にあるのだと感じました。農業のあり方として、そういう考え方を参考にしていきたいと思ったし、経済面でも「このくらいの面積でやらなければ生活が成り立たない」といった部分をどう許容するかということを考えるうちに、生き物に対する考え方が中心になって、それに伴って他の部分も変化していきました。

結果として、敵対する必要がなくなり、もっと余裕を持って見守れるようになりました。

林:

なるほど。それは自然な変化なんですかね。今の世の中では、そうでない考え方が圧倒的に多い中で、井形さんのような変化は自然に起こるものなのでしょうか。それとも、井形さんが何か意識して取り組んだからこそ起きた変化なんでしょうか?虫が苦手だったり、虫を敵だと思っている人にこの話をしても変化が起こるのか、ちょっと気になります。

井形:

難しいですよね。多分、収入や生活が虫と敵対する原因の一番のポイントになると思います。生活と切り離した農業経営のような形で距離を置ければ、虫が食べていても感情的に余裕を持てるんじゃないかと思います。でも、私も同じで、例えばブドウ畑に鳥が大量に来た時、ムクドリがひどくなるとゾッとすることがありました。「これだけ食べられちゃうとどうしよう」とか、「なくなってしまうかも」という恐怖が湧いてきて、音を立てて追い払おうかと考えたこともありました。

でも、それを繰り返さないように、「ちょっと待てよ」と自分に言い聞かせ、実際に食べられたものを見て回ると「意外とここだけが食べられていて、全体には被害が及んでいないんだな」とわかりました。そこで、「じゃあ、外側に余計に実をつけておけば、そこだけで済むかもしれない」といった考えが出てきました。

また、虫や動物が畑に入ってくることを許容することで、全滅するのではなく、ほどよく食べられるだけかもしれないと期待することもありました。そして、いざ収穫の時を迎えると、「意外とこのくらいの量で済んだんだな」と思えました。次に同じことが起きても、このくらいで収まるだろうという余裕が生まれます。

たとえば1割、2割は食べられてしまうかもしれないけれど、残りの8割が確保できるなら、面積を広げればそれで十分かもしれない。そう考えると、心の余裕が生まれ、敵意を感じることも少なくなるんです。

だから、心の変化というよりも、心の変化を無理に変えようとせずに進むための方法を変えていったという感じですね。

林:

すごいですね。実践のコツとしても感じたのは、例えば鳥が畑に入ってきた時に、普通は「うわ、鳥がたくさん入ってきた!」と思うものですが、そうではなくて、一度畑を見て歩いてみるということですね。鳥が入ってきた時に畑がどうなっているのか、観察することをすごく大事にされているんだなと思いました。畑を見てみると、意外と食べられていないとか、外側だけ食べられているとか、そういう全体を把握する視点があるのは、最初の「悲しい」という感情から変わった部分なんじゃないかなと感じます。

井形:

そうですね。感情と、推測による感情の変化は良くないと思っています。「鳥が来た」というのは事実ですが、「どのくらい食べられたか」というのは事実でしかありません。でも、「こんなにやられてしまったかもしれない」という推測に基づいて感情が高ぶり、鳥を敵とみなすのは良くないと思うんです。だからまずは事実を確認しようと。正しい感情の受け取り方をするために、ワンクッション置いて事実確認をして、次に向けた対応を考えるという感じです。

林:

それは、推測に基づいて判断したけれど、実際はそうじゃなかったという経験があったんですか?

井形:

そうです。簡単に言うと、「鳥が来てたくさん食べられた、鳥が敵だ!」と思ったことがありました。でも、実際に収穫してみたら「意外とそんなに食べられていなかったじゃないか」と気づいたんです。その時に「さっきの怒りは何だったんだろう?」と思いました。だから、次はもう一度見てみよう、次の畑でも同じように確認しようと考えるようになりました。

収穫量を確認してみると、「そんなに減っていないな」ということもありました。農家さんの話では「鳥に全滅させられた」と聞くこともありましたが、「全滅」とは何を意味しているのかを深く聞いてみると「何割か減っただけだった」ということもありました。感情的に聞くと「全滅」と感じてしまいますが、実際には計算が立つ場合もあります。

感情だけで動くと、例えばすぐに「全部ネットを張ろう」と考えてしまい、ネットを張るにはお金も時間もかかります。実際にネットを張ったところで、どれだけ効果があったのか比較できないまま、もともとやりたかったことができなくなってしまう可能性があります。それは大きな損失です。

だから、感情に基づいて行動する前に、ワンクッション置いて正しく感情を処理し、事実に基づいて判断するようにしたいと思っています。

佐藤:

自然は自然な流れでいい方向に進んでいるのに、人間の欲がそれを邪魔してしまい、その結果、また別の問題が出てきてしまう。人間の欲との付き合い方が、農業においても大きな課題になるんだなと感じました。

井形:

そうですね。「自然に任せれば良い」と思いがちですが、そもそも今の環境は自然ではなくなってしまっているので、不自然な出来事が常に起きてきます。私たちの仕事は、自然に少しでも近づけることだと思っています。しかし、感情のままに行動してしまうと、見えるべきものが見えなくなってしまいます。感情が起こる原因が自分の生活に関わる危機感や恐怖心だとしたら、それは自然とは関係のないところから生まれた危険として扱われることになるでしょう。

だから、感情に触れる前に、しっかりと状況を見て判断することが大切だと感じています。

林:

私も、畑1年目の時はまだ「全滅しちゃった」という感覚が残っていました。実際には全滅ではなかったのに、そう感じてしまうことってありますよね。井形さんも、そう思っても実際に行動しなかったというところがあると思うのですが、全滅だと思って、それに対処しようと判断した時期とかってあったんですか?

井形:

あ、今、リンゴとモモはずっと収穫していないんですけど、これは明確に全滅しているんですよ。

林:

本当に?(笑)

井形:

一つも残らないです。おそらくサルが取っていくんですけど、サルが3日か4日ごとに一周してきて、少しずつ減っていくんです。完熟するたびに降りてきて、そのたびに減っていくんです。でも、私はそこを実験圃場として見ているので、収益は考えていません。だから、「サルの行動パターンはこうなんだな」とか、「袋をかけると目立つから来るのかな」とかを考えています。

去年は電柵を張ってみたんですけど、守ることができました。これで守れるなら、それを続けても良いかもしれませんが、他に何か弊害が出るかもしれないとも思っています。リンゴを得るためにそれを優先するのか、自然の実験圃場として違う方法を模索するのか、というのを個人的な探究心として考えています。農業としては全然ダメダメですが、それでも「もう一つの方法があるんじゃないか」とか、「サルの天敵は何だろうか?」とか考えていて、自然な環境の中で、そういう関係性が再現できたら良いなと妄想しながら、次に何を試そうか考えています。

佐藤:

実はちゃんと実がなるんですね。でも、実がなるとサルが持っていく、という感じなんですか?

井形:

そうですね。モモもたくさん虫に食べられるんですが、食べられていないものもあって、「あ、これ収穫できる」と思っていると、私たちが食べたい頃、少し前にサルが取っていきます。「やるなあ」と思いながら見ています(笑)。

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この記事を書いたのは

Writer
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代表取締役
井形 誠
2007年ころから、「あらゆる生き物と共存する農業の仕組みを作る」と自分の方針を固め、自然栽培の農業研修を受け、自然栽培食品店の責任者をし、自然栽培の果樹園を拓きました。 農業に転職する時、「販売の得意な農家になれば、後発農家も優位に立てる」と考えてマーケティングを勉強し、それを活かして「やればやるほどに自然が豊かになる農業」に取り組んでいます。 『薬に代わる食』『人と地球の健康を改善する』『いのちを大切にする文化を育てる』そんなテーマに共感できる方々を前進していきたいと考えています。

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