農業の新しい世代への期待を胸に|大友惣兵衛

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農業の新しい世代への期待を胸に


大友惣兵衛
十六代目 大友 真樹さん
山形県の庄内平野に位置する庄内町で、自然栽培の枝豆・大豆と、一般栽培のお米を組み合わせて栽培する生産者。その枝豆は「子供が喜ぶ」と、とても人気。農業を「面白く、もっとかっこよく」と自ら楽しんでいる姿が印象的。
インタビュアー
株式会社いにしえイノベーティブコンセプター 新田 増穂
日本の衣食住、発酵文化をテーマとし日本各地に足を運び、その地の土壌、郷土料理などを学びながらレシピ開発、商品企画 及び飲食店、宿泊施設などの料理提案などを行なっている。

米と枝豆が盛んな山形県の庄内地域
穏やかな風の吹く、高低差のない広々とした平らな地域、山形県庄内町。山々が景色のずっと奥の方で連なり、景色を遮るような高い建物はなく、車で走っても走っても続く田んぼ。澄んだ朝の秋空には、太陽の柔らかい光の中で優雅に飛び交う白い鳥がちらほら。白鷺かな?と思い、ふと視界を地上に戻すと、あちらこちらに稲刈りが終わった田んぼに「落穂拾い」する群れ。なんと白鳥でした。初めて見る野生の白鳥の光景に思わず見入ってしまったのですが、この季節では毎日の光景だそう。
本日お会いしてきたのは、そんな美しい風景のある、ここ山形県庄内町で農業を営まれている大友惣兵衛の大友真樹さん、そして大友さんが8年掛けて口説き落としたという元会社員のご友人、富樫健さんです。頭に手ぬぐいを巻き、サングラスを掛けて、ご自宅から軽トラックで農園まで案内して下さった大友さん。そんな凛々しい雰囲気ですが、お話を始めると何とも物腰の柔らかい方で、いつも自身で育てている作物を撮っているという一眼レフのカメラで撮影陣を撮ってくれたのが印象的でした。
そんな大友さんは、この農村でお米農家に生まれ、お父様の代では新たに枝豆も始め、現在では大豆も加わった穀物を作っておられます。見せて頂いた時期は丁度 枝豆の収穫が終わり、大豆があともう少しで収穫期に入るところでした。この辺りは、遠くに見える山に囲まれ 広大な平地で風がよく抜けることから、米や豆をやりたい人には最適だそう。いつも風に揺さぶられることで根の張る力が強くなり、倒れにくく病気になりにくい強い作物が採れるんだとか。果樹や野菜では風で落とされてしまったりというのがあるけれど、ある程度収量の要る穀物にとっては、この地域は一等地だと大友さんは笑顔で言います。 そんな大友さんが作るものは、米は慣行栽培、米以外の作物や枝豆、大豆は全て自然栽培です。きっと土壌からこだわり抜いて作っておられるのだろうと思い、お話を伺うと、その答えは私のイメージを覆すものでした。

「体が美味しい」と思うものを作る
自身の「土づくり」とは、水捌けを良くしたりといった「畑づくり」までであり、その先は作物が勝手に自分が育ちやすいように土を改造していってくれる。そうして、放ったらかしでも自然の力で年々自分たちに適した良い土になっていっている事を、収穫された物を見て感じることがとても面白い、と大友さんは言います。私の机上のロジカルな知識が、現場ではいかに意味を成さないかを思い知らされるお話です。
実際、近年 自然栽培農家さんというと、世間一般のイメージでは環境や生態系に配慮することを意識した「土づくり」からのイメージがあるし、そこから着手して農業を営まれている農家さんも数多くおられます。ですが、ここ大友惣兵衛さんでは、かつてお父様が営んでおられた頃から美味しいものを追求する過程で除草剤など必要のないものは使わなくなっただけで、あれ入れようこれ入れようといった栄養剤や堆肥へのこだわりからスタートした訳ではなく、ただシンプルに「良いものを作りたい」という思いからの結果論で、「化学的な土の改良」という概念はまるで無かったのです。
無肥料だとか無農薬だとか、環境がとか。そんな事より、食べる人の「体が美味しい」と思うものを作る。「有機野菜」や「オーガニック」「自然栽培」というワードから選択する場の増えた現代社会に首を傾げながらそう話す大友さんは、何だかとても本質的で、もしかすると私も情報社会の風潮に感化されて、脳で食べ物を選択している一人なのかもれない、と感じてしまうのでした。
自然栽培に取り組む理由
そんな大友さんのやり甲斐は、やはり食べてくれる人が喜んでくれる姿。大人は情報で食べるから無農薬や自然栽培だからと有難く思って下さるけれど「2、3キロでこんな沢山…と言っていたのに食べ始めるともっと注文して」と言う子供の声だったり「飼い犬が豆から離れない、取り合いになる」なんて声だったり、そういった素直な反応を聞く事が何より嬉しいんだそう。頭ではなくシンプルに味でしか判断しない、そして体がそういう反応をしてくれている。それらが、やっぱりこのやり方がいいんだな、と自然栽培を続ける大きな理由です。
以前は野菜セットもトライしてみたそうなのですが、広さと平さという魅力を生かせるのはやはり豆類や穀物。この一枚の広大で平らな畑でせっかく面積もあって色んな機械が使えて…ということを考えると、経費が掛かることを差し引いてもやはり穀物だと行き着いたんだとか。
そして、そういった“その土地に合ったもの”というのがもちろん一番ではありますが、やはり農業と一括りに言っても皆それぞれ。穀物が向いてる、果樹に向いてる、野菜に向いてる、というのがあるようで、自身の性格は豆類だと感じたのだそう。枝豆も季節の野菜には入りますが、分かりやすく喜んでくれる、分かりやすい旨さに、作り手として魅力があるんだと仰られていました。 草抜きが大変とか選別が大変だとか、最初は色々あるけれど、それに慣れて普通になってしまえば、また今年もこの大変な季節が来たなと、年々工夫しながら楽しんで挑める。食味を良くしようの結果が「自然栽培」だっただけで、環境良くしようとか、農薬、健康がどうこうではない、シンプルに追求した結果である今の形を、変わらずこれからもやっていく。そう話す大友さんの眼差しは、とても凛と強くてかっこよくて、目の前に広がる広大な畑がとても美しく私の目に映ったのでした。

農業の変革を感じる農業者の意識
そんな大友さんも、お若い頃に一度は企業に就職したご経験があったそうで、その背景には、この農村で生まれ育ってきた中で、古くから自分より上の世代の人達に「農業では食べていけない」と言われてきたことにあり、実際に農業だからとお嫁に来てもらえない風潮がたった数十年前までは確かにあったとか。考えてみれば昔の日本はもっと農業従事者が数多く占めていたし、かつ今ほど機械も無かったので生産量にも限りがあり、大幅に収益を上げるといった革命的なことは難しい職種だったのかもしれないなと、何となく脳みそをタイムスリップさせてみるのでした。確かに少し前までの日本なら、他の仕事を薦める先代の方々の想いも何となく理解できる気がします。
ですが、企業に勤めるご苦労も経験し 家業である農業に舞い戻った先で、大友さんの中で少しずつ、先代から受け取ったその考えが変わっていったそう。農業従事者の中で続いてきたこの概念を、今の若い世代の方々の姿に覆されたのです。「稼げない」と言われていたはずのこの世界で、新規就農者の方々が楽しく「経営」している。そして、例えばそこへお嫁さんが来ていつしか夫婦経営になり、そこで一つの家族が生まれる。多くの選択肢から農業を選び、新進気鋭な取り組み方やSNSなどの表現の仕方の工夫などで上手く生業にし、そして人生にしている。そんな若い方々を見て、ただ“自分たち家族が食べていくための仕事”といった先代からの意識から、一つの立派な事業であるというポジティブな意識へと変わった、と言います。
時代背景として、ゆとり世代辺りから大手に就職するのが華という風潮が何となく弱まり、業種問わず自分で新しい形の仕事を創るという人が一定数増えていったこの社会現象は、農業の世界でも同じ。自分より後から始めた人達が、遥かに経営や販路の拡げ方、技術の習得も早く、模索しながら“農業で食べていく”という形を作っていることが、大友さんにとって自身の日々取り組む農業への考え方を大きく変えるきっかけになったのです。
とはいえ現状はまだまだ農業を担っている過半数が、慎重で保守的な先代の方々。一方で新しい形を生み出すクリエイティブな若い新規就農者の農業に対する捉え方とのこの二分化を、大友さんは肌で感じておられるそうです。“農業新参者”などと思わず、下の世代の方々からも何かを捉えようとする大友さんは、先祖代々引き継ぐ生粋の農業従事者の中では、もしかすると珍しい存在なのかもしれません。
いま残したい人と人の温かい関係
ですが、大友さんの若い方々を見るそういった柔軟な視点は、自身の生まれ育った農村を心から愛している想いからなのです。規格内の決まったものを決まった価格で農協に卸すといった何十年続いてきた農業全般の在り方。そんな先代の方々のお陰で戦後日本は食糧不足にならずにここまで来たわけですから頭が上がりません。ですがどうしても、年齢事由による離農者の増加と同時に耕作放棄地が増え続ける日本の課題は、“農業は稼げない”という上の方々の考えによって作られてしまった結果なのでは、と思わずにはいられないのだとか。この庄内町に関しては、幸いまだまだ現役の方々も多く、加えて米や豆を作るには周りから羨ましいがられるほど素晴らしい土地で、まだそういった社会問題には直面しておられないそうですが、もっとこの楽しさを農業の家で生まれた子供達に伝えられていたら…日本全体の後継者不足問題という結果は少し違っていたのかもしれません。
そうして、上の世代の方々から引き継いできた大切な知恵と、若い人たちの、分からない中ですぐ動いて修正してスピード感を持ってやるポジティブなエネルギーと、その狭間で大友さんは、自分の人生そのものである“農業”の未来を、後者の考えで美しく拡がっていくことを心から願っておられるご様子でした。
そんな大友さんとの会話で、胸が熱くなるこんな素敵なお話がありました。ここは江戸時代に新田開発で移住してきたご先祖様から脈々と続いてきた二十件くらいから成る集落で、その日から今までずっとその子孫の間で、例えば「あそこの親父から俺は世話になった」「自分は別のところの息子の面倒を見てやった」などという事がずっと繰り広げられてきた。そうして各家同士で上も下もないずっと続いてきた斜めの繋がりが四方八方にあるから、それがこういった地方の魅力、強みだと思う、と。自分達だけでなく、代々が当たり前にそうしてきた文化。ここにまた新たに全くの血縁関係のない人が加わるときっと面白いだろうなと、優しいお顔でお話して下さいました。
このお話は、心を病む人が増えている今の世の中にとって、とても大切な鍵が隠されていると感じます。「暮らし」とは、家の中が全てではなく、周りの人々と混ざり合っていること。建物による境目で仕切られないものなのです。そうしてまるでグラデーションのように、みんなそれぞれの人生があって、そのそれぞれの日常の中で不意に偶然 同じ時を過ごし、混ざり合う。ただ挨拶をしたり、同じ食材を口にしたり、同じ夕日を見たり、困った時に近くの方々と助け合ったり。そんな、日々の意味を成さない事が、人生に大きな意味を成すのではないでしょうか。核家族社会が忘れてしまった、そんな心豊かな“当たり前の日常”の情景に何故だかほっとするのでした。
時代をつなぐフラットな視座
大友さんは言います。若い方々を見ていて、一歩目の速さやトライエラーのスピード感、あるいは前進するための時代に適応するための努力は、自分の種を増やそうと計り知れない生命力で生きる植物、そしてまた、昔々の人々が努力を楽しんでいた時代の農業に、重なるものがある、と。
自分が農業の在り方に感じてきた違和感を若い世代の方々が少しずつ解きほぐしていってくれていると同時に、自身も同様に、新しいことを考えられる個人事業主という在り方が楽しい、と話す大友さんには、農業を通してどんどん外部から移住して新しい方々がやってきて、そこでまた家族ができ、人が増え、地方が生き残り、栄え…といったそんな明るい未来が、きっと見えているのでしょう。
確かに、精神衛生上も間違いなく農業は楽しいし、その証拠に農業の方々は生涯現役で元気な方ばかり。会社勤めをリタイアして60過ぎて新規就農している人達もいるし、若い世代の方々が新しい未来を創っていっているからこれからは農業も稼げる時代。農地さえあれば、周りの人に助けてもらいながらでも業種として始めやすい職業ですし、社会情勢に顕著に影響を受けてしまうお仕事より、どんな時代になろうとも食べる事は出来て、近隣の方々とも日々の関わり合いがあって、太陽と共に生活をして、四季の変化を毎日感じられて…とても豊かで健康的な人生です。
大友さんのご自宅を後にした頃には、いつか農業を始めたい!とキラキラした気持ちで未来を描いている自分に気付いた時、大友さんのお話を未来を担う若い沢山の方々に聞いてもらいたい、と改めて心から思うのでした。
来年は枝豆の収穫期に是非お手伝いに伺い、大友さんのエネルギーたっぷりの枝豆を頬張りたいと、こっそり願う私でした。大友惣兵衛の大友真樹さん、富樫健さん、本当に有難うございました。