発酵の未来の可能性に心を宿す|今野味噌醤油醸造店
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発酵の未来の可能性に心を宿す


今野味噌醤油醸造店
六代目 今野 良輔さん
大学進学と同時に米沢を離れ営業を学び、2019年に戻り家業を継ぐ。現在は自らを「紫杜氏」と名乗り、代々引き継いできた伝統を守りながらも無添加の醤油作りや甘酒、味噌教室など、新たな取り組みにも力を入れている。
インタビュアー
株式会社いにしえイノベーティブコンセプター 新田 増穂
日本の衣食住、発酵文化をテーマとし日本各地に足を運び、その地の土壌、郷土料理などを学びながらレシピ開発、商品企画 及び飲食店、宿泊施設などの料理提案などを行なっている。

明治三十三年創業の醸造店
山形県米沢市。味噌蔵の多いこの地域で伺ったのは、どこか懐かしい入口の商店。中に入ると、お味噌やお醤油、甘酒が並んでいて、低い机と小さな座布団が敷かれた可愛らしい木の椅子。とても温かい光景になんだかほっとするお店。きっとこの町でずっと、人々の日常の憩いの場なのだろうと容易に想像がつくそんな雰囲気。こんにちは!と奥に向かって言うと、ご自宅に繋がる暖簾から顔を出して下さったのは 六代目を担う爽やかで柔らかい雰囲気のイケメン良輔さん。お味噌蔵の方はもっと年季の入った渋いおじちゃんをイメージしていたのに、インタビュアーである私(34)とおそらく変わらないご年齢で、同世代として一体どんな日々を過ごしておられるのだろうと 色々なお話を伺いたい気持ちで胸が高鳴りました。
ここは明治三十三年創業の、歴史ある今野味噌醸造店。良輔さんは、代々守ってこられたこの醸造店で、ご両親と共に三人で日々お味噌や木桶仕込み醤油を無添加で作っておられます。原料の麹から作るという昔ながらの製法の蔵は、今では全国的にもかなり少なくなってしまったそう。日本酒の酒蔵を取り仕切る職人さんを「杜氏」という事から倣って、自身を「紫杜氏」と言う良輔さん。お話を伺うと、姉二人、妹一人で唯一の男であったことから、幼少期からなんとなく「いつか自分がここを継ぐのだろう」という思いはごく自然に抱いていていたそうで、日々お手伝いをしながら作業する父親、それを手伝う母親、そして三時になると茶の間に戻ってくるというご両親の日常に、何だかいいなぁと幼いながらに思っていたとか。

学生から職人へ
そうして年月が経ち、発酵を学べる大学をご卒業なさった後蔵に入る意志をお父様に伝えると「一度外に出てきなさい」という意外な言葉を受けたそうです。お父様はきっと継いでほしいという想いもありながら、息子さんの人生の選択肢が他にもあるということを伝えて下さっていたのかもしれません。それでも良輔さんの信念は変わらず、関東の商社に就職されたのち四年間のご経験を経て、引き継ぐために戻ってこられました。良輔さんは直ぐにでも一人前を目指したい熱心な思いから、お父様にマニュアルを作って欲しいとお願いしたそうですが、その想いは直ぐに屈されました。日々お醤油やお味噌と対話を続けていくうちに、生きた菌で作られていくこの世界は到底マニュアルにはできないと痛感したのです。そんな職人さんらしいエピソードを伺い、良輔さんが一心不乱に歩まれるこの世界には一体どんな魅力が隠されているのだろうと、早速この醸造店の裏側へと案内して頂きました。
生きものたちが棲まう
茶の間の奥にある蔵へ入ると、そこは高い天井から陽の光が柔らかく差し込む薄暗がりの世界に、ひんやりとした空気の中で満ちるお味噌やお醤油のふわりと深い芳醇な香り。年代物の建物の木柱の奥には、なんと六尺(180センチメートル)もある大人が何人も入りそうな木桶が並んでいて、厳かな雰囲気すら感じます。百年以上使い込まれている木桶は、表面に酵母菌がたくさん付着していて、まるで生きている大木を見ている気持ちになりました。この木材の中にも無数の酵母が生きているそうで、そんな「生き物たち」が発酵に関与してこの蔵ならではの味を作り出し こんな深い香りを醸し出しているのだと思うと、何故だか不思議と深呼吸してしまうのでした。
木のハシゴを上がると全ての木桶の中を見る事が出来ました。落ちたら自分が醤油漬けです。(いにしえのお醤油も、あったー!)中には空の木桶もあり、また新たなお醤油を仕込む頃には、塩分濃度を調整したお水、そして麹を入れる作業が待っているそう。良輔さんの一日はここで朝7時くらいからスタートし、年間を通して気温や湿度が変わる中、豆を煮たり麹を蒸したり、櫂入れ(お醤油をかき混ぜる作業)するのは大凡二日に一回、そうして発酵の状態を日々観察しながら、良くも悪くもはたらく無数の菌たちの声を聴くことが日課です。相手は、決まった手順、決まった調合で出来るものではなく、全てが生き物。そうした見えないものが私達日本人の健康を古くから司ってきたなんて、奥深い世界に胸が熱くなります。

味噌と醤油ができるまで
ここでおさらいしたいのが、この蔵で作っている米味噌作りには大豆、米麹、塩。醤油はというと、大豆、小麦、塩が基本的な原料となります。製造工程は、時期が来ると大きな木の船に蒸した大豆を広げて冷ましながら小麦と菌を合わせ、適正温度になったらムロに入れるという手順で、その後、天然醸造で一年ないし二年じっくり熟成させ、ようやく圧搾となります。お醤油作りは、お味噌よりも納豆菌や雑菌に弱いので、一月に氷点下くらいの時期に仕込むそう。これだけ歴史ある醤油蔵さんでも以前一度納豆菌が入った事があり、一回分の仕込みが全部ダメになった事があったとか。昔の人は、各家庭で味噌作りや梅干作りは主流だったのに、どうしてお醤油は作らなかったのだろう?と以前から不思議だった答えがここにありました。家の中は様々な生きた菌が活きているからなのですね。
そんなお醤油は、そうして長い熟成期間を終えたのちにいよいよ何枚もある大きな木綿の布の袋に入れ、積み木で圧搾でするという昔ながらの製法で作られます。圧力でぺしゃんこになった 一つ一つ綺麗に折り畳まれた袋からもろみの搾りかすを出す作業を一日なさる日は、お風呂に入っても体中お醤油の香りが取れないそう。袋の中に残っていた搾りかすを袋に手を入れて取り出し、ポソポソと食べてみたのですが、香り高いお醤油の旨みがぎゅっと凝縮されていて その美味しさにびっくり!かすという言葉が似合いません。知り合いの牛屋さんに差し上げて餌にしておられるそうなのですが、おにぎりのおかかみたいで、ご飯に乗せて食べたい!と思いました。商品化希望です。その後、圧搾された醤油は加熱殺菌の工程を経て一つ一つ瓶に入れられ、製品へと変貌を遂げていきます。こうして手作業によって長い時間を掛けて出来ていく工程を見ると、一滴残らず醤油になっているのだなぁと、少しうるうるとしてしまうのでした。そして何より、そういった日常の工程を楽しく、そして誇りを持ってお話なさる良輔さんのお姿がとても印象的でした。
家業を継ぐということ
良輔さんは、そんな日々の蔵でのお仕事だけに留まらず、子供達の食育も兼ねたお味噌教室を開催したりと、日本の日常の中の食文化を人々に知ってもらう機会も進んで作っておられます。先代から受け継いだ歴史ある伝統を守り、続けて行きながら、それを囲い込んでしまわずに色々な形で拡げていこうといった良輔さんの想いはまさに温故知新であり、きっと後世に繋げていかれるのだと感じました。
近年、引かれたレールの上を歩くのが嫌だとか親の会社は継ぎたくないだとか、そういった話を身近でもよく耳にします。それは時代背景として、情報過多で選択肢が無数に増えた現代社会でおそらくとても自然発生的なのだと感じます。そのようにこれから世の中を担っていく若い世代の考えが大きく変化を続け、それに比例して一次産業に携わる方が減少している中で、親が紡いできた糸を何の迷いもなく当たり前に継ぐという 少し前の日本では当たり前であった光景と、楽しんでこのお仕事に携わられている良輔さんの存在がまるでピタッと重なり、選択肢が無数にある中で脇目もくれず家業を継ぐという世界線がまだ日本にはたくさんあるのだと思うと、何だか胸が温かくなるのでした。何故なら「継がないといけない」や「やらされている感」が全くない自ら進んで味噌蔵の主人になっている良輔さんが作るお味噌には、きっととてもポジティブなエネルギーが詰まっていて、そうすると食べる人は「減りゆく一次産業の方々を応援しなきゃいけない」ではなく心から「応援したいな」というポジティブな連鎖が生まれるのです。
食を通した人との関わり
そうして受け継がれてきたものを伝承していくのはもちろんのこと、更にはより新しいものをと、お父様の代では蔵で音楽を流して麹に聴かせる「クラシック醸造」というものが考案されたり、良輔さんの代では無添加のお味噌に合わせてお醤油も無添加の商品開発を手掛けたりと、家族三人の限られた生産力で 伝統を守りつつ新たなものを楽しみながら追求していく取り組みは、何もかもが簡素化されていくと同時に「商いを通した人と人との想いの交換」が失われていった今の世の中に、強いメッセージを残しているように思います。考えてみれば「〇〇さんのお味噌」や、「〇〇さんのお豆腐」、「〇〇さんのお魚」…というように、昔の人(といってもつい半世紀前)までは、それぞれの食材専門の商店が立ち並ぶ光景が日本の人々の暮らしの中に当たり前にありました。そういった日本人の暮らしの情景こそ変わりゆくものの、私達の心が今も変わらず無意識に求める「食を通した人との関わり」はきっといつの時代も、日々の豊かさを象徴しているものなのではないでしょうか。
職人の心が食文化の未来を照らす
近年 日常の中での食の簡易化が進み、レンチンだったり食べやすく簡単である事がセールスポイントになっていたりという時代の流れの背景で、益々食に興味のない方、食卓までの道のりを知らない方が増えてきているという現状に対し、良輔さんは、美味しいと言ってもらえるだけでも充分嬉しいことではあるけれど、発酵食品を作るこの家に生まれてきた以上、発酵という文化や技術を継承するのは勿論、食べるとどんな効果が生まれるか日常に取り入れた先での自身の体の変化を体感することで「発酵の可能性」に関心を持ってもらいたい、と言います。戦後 食の欧米化が進む中で 少しずつ食卓の主役ではなくなっていった発酵文化が現代人の多くの体の不調によって再び見直され、人々の意識に戻り始めたと同時にここ十五年ほどで海外の方々の日本食への興味が深まり「umami(旨み)」という言葉が少しずつ浸透したり、数々の日本の調味料が世界の様々な名店で使われ始めた中で、逆輸入のようなイメージで この地に住む日本人が改めてその良さに気付いてきた流れから、古来から受け継がれてきた世界に誇る日本の発酵文化が正に今、再び脚光を浴びようとしているのです。そんな時代だからこそ、言葉にするのが難しく目に見えない「発酵」の世界で生きる職人 良輔さんの想いは、きっと多くの人が耳を傾け、水紋のように優しく拡がっていくのだと感じました。
日本人の健康を古来から司ってきた「発酵」は、こうした生産者さんの熱心な想いが、日本の食文化の未来の大きな鍵を握っているのではないでしょうか。今野味噌醤油醸造店 今野良輔さん、本当にありがとうございました。